サーファー的老いについての考察

老いについて考える事がある。

40を超えたあたりから否が応でも老いを感じるようになってくる。

意識せずとも立ち上がろうとすると「よっこらしょ」と口をついてしまうし、お風呂に浸かる時には「おわ〜」と声が出てしまう。どうしようもなくおっさんになってしまうのだ。

 

最近、一緒に仕事をしている人にこんな事を言われた。

「ケイさんは石橋を叩いて叩いて、崩れないのを確認しながら渡る人ですよね」と。

これには驚いた。

これまでのボクは「石橋かどうかも確認せずにエイヤッと渡ってしまう人ですよね」と評されてきたからだ。

しかし現在仕事を共にしている人の目にそのように映ったということはボクもずいぶん変わってしまっただろう。

 

歳を重ね、守るべき人ができるとなかなか冒険的なことができなくなってしまうものだ、などとつい言い訳したくなる。でもそれは仕方のないことだ、とさらに言い訳を重ねたくなる。

しかしそんなことでは人生はどんどんつまらないものになってしまう。

そんなことではアルコールが注入されると決まって「オレが若いころはヨオ」と昔話を始めてしまう典型的なツマラナイおっさんになってしまう。

 

最近、サーフィンについても同じことが言える。

この波はやめておくわ、というハードルが下がり始めている。

悲しいかな、これまでだったら「おっしゃあ、いったるで〜」と突っ込んでいた波にも躊躇するようになってきている。

これも老いなのだろうか。

 

この『老い』という言葉は案外便利なものだ。できないことへの免罪符となる。しかも相手が反論できなくなるキラーワードでもあるのだ。

「ね、おじさんだから仕方ないでしょ。君たち若者みたいにはできないんだから」と腰に手を当てながら苦しそう表情で言われてしまうと「ああ、そうですね」と同意せざるを得なくなる。

それより「まだまだ若いもんには負けられん」と一緒になってドロンコで汗を流しているおじさんの方がよほどカッコイイではないか。

ボクもそんなマインドでいるはずだったのだが、気がついたらちょっとマズい傾向が出始めているようだ。

 

想像していただきたい。石橋を叩きすぎている姿を。

そんなもん、決してカッコいいものではない。

むしろダサい。

臆病者の姿だ。

この歳になって石橋を全く叩かずに渡るのはちょっとした阿呆だと思うが、叩くのはほどほどにさっさと渡ってしまう方がいい。

つまり老いなどというものはなるべく気づかないフリをしてこれからもどんどん新しいことにチャレンジし続けていきたいと思うのだ。

有本圭

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