サーフィンとヨガの類似性

すごくソフトなスタンスでヨガを続けている。

ヨガに出会ったのは30代の前半だったのでキャリアは10年を超えている。しかしだからといって自分のことをヨギーだなんて口が裂けても言えない。10年以上もやっているとフツーはまあまあのマスターになるのだが、ボクの場合は万年ビギナーの域を脱せずにいる。まあ、ヨガの場合は続けることに意味があるとあくまでもゆっくりマイペースに行っているのだ。

ヨガの始まりと終わりにはメディテーション、つまり瞑想が入ってくる。そもそもヨガの本質はメディテーションにあるという。ボクは常々このメディテーションと波に乗っている時の感覚は近いものがあるのではないかと思っている。

メディテーションをしていて調子がいい時には『無』に近い状態になる。しかし『無』になることを目的とするメディテーションの場合、『無』を意識するあまり「お、今『無』じゃない?」と思ってしまうことで『無』から覚めてしまうことが多い。そう簡単ではないのである。

また、「今日は完全に『無』の境地だったよ」などとドヤ顔をすると「いやいや、いびきかいてたから」と笑われてしまったりする。ボクのレベルだとこんな感じなのだ。

 

一方のサーフィンだ。

過去に何度かこんなことがあった。

素晴らしい波に乗り終えた後にそのライディングを思い出して悦に入ろうとしても記憶をうまく蘇らせることができない。断片的にしか思い出す事ができないのだ。また時には波に乗り終えた後に「え、今、波乗ったっけ? 夢か現実か?」と不思議な感覚になる事もあった。

これはもしかすると我が塩漬け頭の記憶をつかさどる大切な部分が崩壊気味になっている疑いも拭い去れないが、瞑想状態、つまり『無』に近い状態になっていた可能性もあるのではないかと思ったりするのだ。

 

ヨガを終えた後の爽快感とサーフィンのそれとは非常に近いものを感じる。単に汗を流した爽快感以上の感覚を得ることができる。

サーフィンができない時はヨガ。ヨガができない時はサーフィン。

それがボクの崩壊寸前の精神を正常に保つためのタスクとなっている。

しかしあくまでも理想はヨガをしてからのサーフィン。

それを毎日続けていくとそのうち悟り的なものが開くのではないかという淡い期待がある。しかし完全に開いてしまうといよいよ本格的に浮世離れしてしまいそうで少々恐ろしいような気もするのだ。

有本圭

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